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2013年 12月 18日 [ トピックス ]

No.637-1:高岡市の有磯海(女岩)、国の名勝に

海越しの立山連峰を望む「有磯海(女岩)」など、俳聖・松尾芭蕉ゆかりの10県13カ所が「おくのほそ道の風景地」として国の名勝に指定されることになった。往時をしのぶ優れた風景地として価値が高いと評価されたもの。県内の国指定名勝は、特別名勝の黒部峡谷附猿飛並びに奥鐘山、名勝の称名滝に次いで3件目となる。指定は早ければ、来年1月中、遅くとも年度内になる予定。

●『おくのほそ道』に詠まれた県内有数の景勝地


▲有磯海(女岩)と立山連峰の景観

 「有磯海(女岩)」<ありそうみ(めいわ):高岡市太田、面積95㎡>は、松尾芭蕉(1644~1694)が「わせの香や 分入(わけいる)右は 有磯海」と『おくのほそ道』に詠んだ景勝地。奈良時代に遡れば、越中国守で万葉歌人の大伴家持が赴任中に「かからむと かねて知りせば 越の海の 荒磯(ありそ)の波も 見せましものを」など多くの歌を詠んだ場所である。

 『おくのほそ道』は、江戸時代に芭蕉がまとめた俳諧紀行文学の傑作。1689年(元禄2年)5月、門弟の河合曾良(そら)とともに江戸深川を出発し、東北、北陸から大垣までの約150日間の旅を記録した。親不知(おやしらず)、市振(いちぶり)を抜け、越中に入った芭蕉一行は滑川と高岡で宿泊。奈呉の浦(新湊)などを訪れた。家持が詠んだ氷見の担籠(田子)の浦、藤波神社なども訪ねようとしたが、断念し、倶利伽羅峠を抜けて金沢へ向かった。


▲左手に女岩、右手に義経岩を眺望

 芭蕉が句を詠んだ場所については諸説あり、朝日町や滑川市など県内10カ所に句碑が建っている。もともと「荒磯(ありそ)」に由来する一般名詞だった「有磯」が、中世以降、固有名詞の「有磯海」に転訛(てんか)した際に富山湾全体や県西部の海岸を広く指すようになったためだ。「有磯海(女岩)」の国名勝指定は、芭蕉の旅の目的のひとつが歌枕(和歌に詠まれた名所・旧跡など)の由緒地を巡るものだったことや、家持が歌に詠んだ「荒磯」の絶景の地であることなどがポイントになった。

 文化審議会では、「『おくのほそ道』という一つの作品を通じて、後世の人々の風景観に影響を与え続け、今なお作品が生まれた時代の雰囲気を伝えている。変わらず残されてきたものと、移ろいゆくものとを同時に捉えようとした芭蕉の「不易流行(ふえきりゅうこう)」の精神を表す場所」と高く評価した。

●富山県人の美意識を育んできた景観


▲JR氷見線側から見た義経岩

 高岡市の雨晴海岸・女岩の周辺には、義経岩もあり、源義経ゆかりの伝説が伝わっている。1187年(文治3年)、義経一行が追討の兵から逃れ、京都から奥州へ落ちる途中、雨晴海岸にさしかかった。そのとき、にわかに空が曇り、雨が降り出した。弁慶が急いで岩を積み上げ、岩穴をこしらえて雨宿りしたとされる。そもそも「雨晴」という地名は、この伝説に由来するとされている。

 海岸沿いにたたずむ義経岩は高さ20mほどで、岩の下部から松が伸び、岩肌と常緑のコントラストが美しい。頂上には小さな祠(ほこら)が建っている。砂浜側からは岩穴も見ることができる。義経岩横にはJR氷見線が走り、漫画のキャラクターのラッピングが施された可愛らしい列車と岩、海岸線の趣ある風景も楽しめる。今後、周辺に「道の駅」を整備する計画もあり、観光誘客に期待も高まる。

 富山県教育委員会生涯学習・文化財室では、「芭蕉がなぜ越中を訪れたのか。それは、大伴家持が万葉集に詠んだ由緒地の存在があったから。指定地一帯は、万葉集に由来する有磯海と渋谿(しぶたに)に関わる由緒地。今後、周辺地域の追加指定に向け、取り組んでいきたい。有磯海の荒磯を象徴する女岩、遥かにそびえる立山連峰の雄大な景観は昔も今も変わらず、富山県人の美意識を育んできた。家持、芭蕉を魅了した景観をぜひ観賞してほしい」と話している。

問い合わせ
●富山県教育委員会生涯学習・文化財室
TEL.076-444-3456
FAX.076-444-4434
http://www.pref.toyama.jp/cms_sec/3009/

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