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2014年 5月 28日 [ トピックス ]

No.659:国重要文化財・勝興寺の修復見学、個人も受付

“平成の大修理”が進む勝興寺(しょうこうじ。高岡市伏木古国府)。平成32年度まで続く大規模な保存修理工事を多くの人に見てもらおうと、個人見学の受付が始まった。地元の観光ボランティアグループ「比奈の会」が案内を担当する。勝興寺は荘厳な伽藍配置で、本堂、唐門、大広間など12棟が国重要文化財に指定。“天から降った石”などの七不思議も伝わる。木造建築の美しさ、職人の技に触れるひとときを。

●第Ⅱ期修理事業で合計11棟を修理


▲展望通路から工事現場を見下ろす

 勝興寺は、浄土真宗本願寺派の古刹。約3万平方メートルの広大な境内は奈良時代の越中国府跡で、戦国時代には越中の一向一揆の一大拠点ともなった。現在も土塁と濠で囲まれており、城郭寺院の面影をとどめている。荘厳な雰囲気を漂わせる本堂(一般公開中)は、勝興寺の住職から加賀藩11代藩主となった前田治脩(はるなが)の支援を受け、寛政7年(1795年)に西本願寺の阿弥陀堂を模して建築。間口39.3m、奥行37.4m、棟高23.5mの巨大な木造建築物で、国指定重要文化財の建築物の中でも面積は8番目の規模を誇る。堂内でもっとも太い柱は直径54cm。長さ約9mの柱が122本も立っている。平成10年度から16年度までの第1期修理事業では本堂の保存修理が行われた。7年の歳月をかけて行われた修理は、建立されて以来の初めての抜本的な修理となり、創建時の壮麗な姿と輝きが蘇った。


▲巨大な素屋根の下で
大広間の修理が進む

 平成17年度から始まった第2期修理事業では、大広間及び式台、台所、書院及び奥書院、御内仏からなる本坊部分(住居部分)4棟、総門、唐門、式台門、御霊屋、鼓堂、宝蔵、経堂の諸門及び諸堂7棟、合計11棟の修理が順次進められており、平成32年度までに完了する予定だ。工事現場の一般公開はこれまで20名以上の団体を対象に行われてきたが、文化財修復への理解を広めようと、5月7日から個人1名からでも受付を始めた。案内は、日頃から勝興寺境内をガイドしている「比奈の会」のメンバー14名が交代で担当する。重要文化財の修理工事現場のため、メンバーが待機する時に限り見学を受け付ける。このため、事前の予約をおすすめしたい。工事現場の見学は9:00~16:00、所要時間は30~40分ほど。1名につき工事協力金500円(本堂のみの見学は300円)が必要。日曜は、現場見学を実施しない。

●素屋根の内部に入り、建築物を間近に


▲台所の格子部分(左)
▲台所の内部(右)

 見学できるのは、本坊部分の工事の様子。幅72m、奥行き43m、高さ23mの鉄骨造りの「素屋根」が工事現場全体を覆っており、建物を雨や風から守っている。まるで巨大な体育館の中に木造建築が並んでいるようだ。まず、階段で4階の展望通路へ上がり、大広間、式台、台所などの全体を見下ろす。すべての部材を解体して組み直す「解体修理」が進められており、大屋根のライン、木組みが美しい。修理の方針として、建築当初の姿とその変遷を究明することや、木材、石材、瓦、釘など建物に用いられているすべての材料をできるだけ再利用し、取替材を最少にすることなどが挙げられており、現場では、建築当初の部材の傷んだ箇所を新しい部材で接ぎ木して修理した様子などを間近で見ることもできる。解体した部材の1つ1つに番号が付けられており、組み立て時に正確に元の位置に戻せるようにしてあることも驚きだ。

 一般的に「本坊」とは住職が居住するところを表すが、勝興寺の場合は単なる住居ではなく、来客を迎える御殿、仏法の講義をする広間、門信徒が泊まる講の部屋など、さまざまな機能が集中している。大広間は勝興寺に現存する最古の建物で、元禄4年(1691年)に建てられた。薄い板を重ねて竹の釘で打ち止める柿葺き(こけらぶき)で復元が進められている。大広間の右に建つ式台は、正式な客を迎え入れる規模の大きな空間。正確な建築年代は不明だが、200~250年前の建物とされる。梁や柱を調べると、別の茅葺き屋根がのっていた痕跡があり、以前から境内にあった民家風の建物を増築し、大広間に連結させたことがわかっている。

 台所については、修理前の屋根は瓦葺きだったが、解体調査の結果、江戸時代には、緩い勾配でも雨の漏れない「石置き屋根」であったことが判明した。1階の地上通路へ下りて、台所の裏手へ。外壁に施された格子、板……木の香りが鼻腔を刺激する。職人の丁寧な作業に驚かされる。台所の内部は太い柱と梁の木組みが美しい。現代の耐震技術が盛り込まれている点も特徴だ。

●唐門の屋根、檜皮葺き(ひわだぶき)に復元


▲檜皮葺きに復元中の唐門の屋根(左)
▲一般公開中の本堂(中央)
▲勝興寺の七不思議
“天から降った石”(右)

 今年7月末には、唐門の修理が完了する。明和6年(1769年)に京都の興正寺で建造され、明治26年(1893年)に勝興寺に移築された。運搬には、北前船が使われたとされる。高さ10.2m、間口6m、屋根の横幅10.4mと大規模の四脚門で、前後の軒に曲線を連ねた唐破風(からはふ)付きの切妻造り。これまで銅板葺きだったが、今回、屋根の分解・調査で昭和30年(1955)以前はヒノキの皮を使った檜皮葺きだったことがわかり、屋根の葺き替え、部分修理が進められている。ヒノキの皮を一枚一枚重ねて竹の釘を打ち、約10cmの厚さの層に仕上げる。唐破風部分は厚さが40cmほどにもなり、木の皮の質感、重量感のある佇まいが印象的だ。唐門に施された彫刻の修理は、南砺市井波の彫刻師が担っている。なお、唐門の工事現場は非公開。修理完了後の素屋根の取り外しが待ち遠しい。

 勝興寺の歴史を振り返ると、文明3年(1471年)、本願寺八世の蓮如(れんにょ)上人が越中国砺波郡蟹谷庄土山<現在の南砺市土山(どやま)>に草堂<土山御坊(どやまごぼう)>を建て、次男蓮乗(れんじょう)を住職として越中布教の拠点としたのが起源。その後、幾多の変遷を重ね、天正12年(1584年)に戦国武将・佐々成政から古国府の寺地の寄進を受けたことから現在の地での歴史が始まった。江戸時代には加賀藩・前田家との結びつきを強めた。寺には、「実ならずの銀杏」(本堂前)、「天から降った石」(本堂前)、「水の涸れない池」(本堂南側)、「屋根を支える猿」(本堂屋根下の四隅)、「魔除の柱」(本堂内南側の奥)、「雲龍の硯」(本堂内)、「三葉の松」(本堂北側)の七不思議が伝わっている。万葉を代表する歌人・大伴家持の歌碑や越中国府跡の碑も建つ。往時に思いを馳せながら、境内をめぐってみるのもいいだろう。

 (公財)勝興寺文化財保存・活用事業団では、「勝興寺の伽藍は、近世の大寺院の規模と形式を備え、荘厳な雰囲気を漂わせています。約200~300年前の創建当時の息遣いを感じてください。国重要文化財の大規模な保存修理工事を見学できる貴重な機会。風格のある伽藍の配置、職人たちの技、丁寧な仕事ぶりをぜひ見学してください」と話している。

問い合わせ
「拝観、修復見学」について
●雲龍山 勝興寺 寺務所
TEL.0766-44-0037
FAX.0766-44-0210

「勝興寺保存修復工事」について
●(公財)勝興寺文化財保存・活用事業団
TEL.0766-45-0008
FAX.0766-54-5772
http://www.shoukouji.jp

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